世界陸上の男子100mで日本初の決勝進出を果たしたサニブラウン・アブデル・ハキーム選手。
惜しくも表彰台を逃しましたが、来年のメダルに向けて思いを語ってくれましたね。
今回はそんなサニブラウン選手の生い立ちと経歴や学歴についてまとめました。
幼少期やご家族についても調査しましたので、詳しく見ていきましょう。
サニブラウンの幼少期からの生い立ちと経歴&学歴
サニブラウンの家族構成は?母親と父親と弟の4人家族
サニブラウンの幼少期からの生い立ちと経歴&学歴
サニブラウン選手のフルネームはサニブラウン・アブデル・ハキームです。
サニブラウン選手はハーフで、母親が日本人で父親がガーナの方なんです。
wikiプロフィールを次の表にまとめました。
名前 | サニブラウン・アブデル・ハキーム |
---|---|
ラテン文字 | Abdul Hakim Sani Brown |
国籍 | 日本 |
年齢 | 24歳(2023年4月現在) |
生年月日 | 1999年3月6日 |
出身地 | 福岡県北九州市 |
出身中学 | 城西大学付属城西中学校 |
出身高校 | 城西大学付属城西高等学校 |
身長 | 188cm |
体重 | 79kg |
趣味 | 寝る事・ゲーム・漫画を読むこと |
母親の故郷である福岡県北九州市で生まれ、東京で幼少期を過ごします。
幼少期~現在に至るまでのサニブラウン選手の生い立ちを、経歴や学歴と一緒に詳しく見ていきましょう。
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サニブラウンの幼少期・小学生時代
幼い頃の性格はやんちゃで、とても活発だったそうです。
そのせいで怒られて校長室に呼ばれることがあったとか。
ですがそのうち校長先生とも仲良くなり、今もSNSでつながっているそうです。
コミュニケーション力が本当にすごいですね!
幼少期
母親の明子さんの教育方針で、サニブラウン選手は幼少期から英語を勉強していました。
小学1年生まで家の中での会話は英語、と決まっていたそうです。
そして高校生になるまで「カートゥーンネットワーク」など、海外アニメや映画を英語で見るのが習慣になっていたそうです。
幼い頃から英語の英才教育を受けていたんですね。
これなら、大会での英語のインタビューにサラッと受け答えされていたのも頷けますね!
小学生時代
サニブラウン選手は、「お台場学園 港陽小学校」に通っていました。
「お台場学園 港陽小学校」の情報
学校名 | お台場学園 港陽小学校 |
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所在地 | 東京都港区台場1丁目1番5号 |
公式サイトHP | お台場学園 港陽小学校の公式HPはコチラ |
体を動かすのが好きなサッカー少年で、チームでのポジションはFWでした。
しかし「団体競技は向いてない」と気付いた母親の明子さんのススメで、小学校3年生から陸上競技を始めます。
「好きなことをやらせていたんですよ。でも、サッカーは向いてなかった。
『俺が俺が』ってガンガンいく感じじゃなくて、『球技は楽しくやろうよ』というタイプだから。
ジグザグに走るのも、そんなに得意じゃなかったんじゃないかな」
引用:産経新聞
息子さんの性格をよく理解されていたんですね。
陸上をはじめたのは、この明子さんの言葉がきっかけだったのです。
そして高校時代インハイ出場経験のある母親の明子さんの人脈により、日大OBが指導するクラブチームで陸上をはじめます。
その結果小学4年生の時、60m走で1位、走り幅跳びで2位の成績を残します。
サニブラウン選手がここまで成長してこれたのは、明子さんの支えがあったからこそですね。
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サニブラウンの中学生時代
小学校卒業後、サニブラウン選手は中高一貫校のスポーツ強豪校、「城西大学附属城西中学校」に通います。
「城西大学附属城西中学校」の情報
学校名 | 城西大学附属城西中学・高等学校 |
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所在地 | 東京都豊島区千早1-10-26 |
最寄駅 | 要町駅から徒歩約6分 |
公式HP | 公式HPはコチラ |
著名な卒業生 | 高橋慶彦(元プロ野球選手/野球指導者) |
中学1・2年生
サニブラウン選手は、中学から元日本代表の山村貴彦監督の指導を受けるようになります。
山村貴彦監督の指導は、同年代の選手に対するアプローチとは少し違い、技術的な指摘は試合本番で行ったのです。
そこには、山村貴彦監督の「外国選手のように試合で作る」という意図がありました。
山村貴彦監督いわく、
「ハキームは言ったことがすぐできる。
いつもは、のほほんとしているけど、スタートラインに立ってパッと集中できる。
そこは外国人のようなテンションの高さがある」
オンオフがはっきりしていたんですね。
さらに驚きのメンタルの強さで、
「大舞台になるほど強い」
と山村貴彦監督が驚くほど。
しかし、中学時代は身長が伸び成長痛があったので、あまり練習させなかったそうです。
無理をすると今後の体づくりに影響することを心配されていたんですね。
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サニブラウンの高校生時代
高校は、中高一貫校で同じく、「城西大学附属城西中学校・高等学校」に進学します。
どんな高校生活を送っていたのでしょうか?
詳しく見ていきましょう。
高校1年生
高校では普通クラスに在籍し、練習も定期試験前は休みでした。
練習が休みの日は、格闘ゲームや漫画を読んだり。
他の生徒たちと変わらない高校生活を送っていたんですね。
好きな教科は英語。
幼少期から勉強されてきたことがここでもいきてますね。
勉強は授業集中型だったそうです。
陸上のオンオフはっきりするスタイルが勉強の面でも出ていますね。
高校1年生の時の成績は次の通りです。
2014年9月インターハイ 男子200mで準優勝
2014年10月第69回国民体育大会 100mで優勝
2014年10月日本ジュニア陸上 100m第3位、200m優勝
そして2015年1月には、東京オリンピック代表選手候補の「ダイヤモンドアスリート」第1期生に選出されました。
高校2年生
2015年に初めてシニアの静岡国際大会に出場しました。
この1年間で最も印象に残ったレースは、この静岡国際大会だったと後のインタビューで答えています。
この大会で初めて大人と一緒に走り、200mで優勝したことが大きな自信となり、その後の結果へとつながったと語ってくれました。
この年はサニブラウン選手の名前が一気に世界に知れ渡る1年でしたね。
それでは振り返っていきましょう。
6月日本選手権 100m第2位、200m第2位。
7月世界ユース選手権 100m優勝(10秒28)、200m優勝(20秒34)共に大会記録で2冠達成。
しかも7月の世界ユース選手権では、ウサイン・ボルトがユース時代にたたき出した大会記録20秒40を塗り替えました。
歴史的な快挙に、日本中の話題をさらっていきましたね!
サニブラウン選手は、
「久しぶりに同じ年代の選手たちとのレースだったので緊張しなかったですね。楽しかった!」
とコメント。
大きな大会で誰もが緊張してしまう中、レースを楽しむサニブラウン選手のメンタルがスゴイですね!
山村貴彦監督が言われていた、「大舞台になるほど強い」という言葉にも納得です。
そして2015年8月の北京世界陸上の日本代表に選ばれます。
男子200mでは史上最年少となる16歳で準決勝に進出しましたが、決勝に進むことはできませんでした。
当時を振り返って、
連戦や移動が続き、「さすがに疲れていましたね」
とコメント。
そしてこの1年の成績が認められ、国際陸連の年間表彰で新人賞に選ばれました。
「自分の頑張りもあるし、周囲にも助けられた」
と1年を振り返っていました。
一気に世界に有名になったことに対しては、
「こんなに有名になるとは思わなかった。注目されるのは恥ずかしいですね」
とコメントしています。
謙虚な姿勢で、高校生らしいコメントですね。
高校3年生
2016年11月10日、2017年の秋期からフロリダ大学に進学し、練習拠点もフロリダ州ゲインズビルに移すことを発表しました。
高校卒業後の成績は次の通りです。
2017年6月 第101回日本陸上 男子100m優勝(10秒05)、男子200m優勝(20秒32自己ベスト)2冠達成
2017年8月 2017年世界陸上 男子100m 準決勝敗退、男子200m 7位(20秒63)
サニブラウンの大学時代
高校卒業後、サニブラウン選手はフロリダ大学へ進学します。
「フロリダ大学」の情報
学校名 | フロリダ大学 |
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所在地 | 201 Criser Hall, Gainesville, FL, 32611 U.S.A. |
同校のアメフトやバスケットボール、野球チームはとくに有名です。
「パーティ大学」としても知られ、学生たちはよく遊び、よく学ぶスタイルをとっています。
日本では附属の英語学校がよく知られています。
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大学1年生
2017年12月に行われた日本陸上競技連盟の年間表彰式「アスレティックス・アワード2017」では、優秀選手賞を受賞しました。
授賞式の擦ポーチでは2017年のロンドン世界陸上を振り替えり、
いい結果は出せたものの、自分の満足いく結果までは行くことができなかったので、この結果や学んだ経験を糧にして、来年や再来年、東京オリンピックに向けて、日々精進していきたいと思います。
とコメントされていました。
大学2年生
大学2年生時の成績は次の通りです。
2019年3月 NCAA室内陸上競技選手権大会 60m第3位(6秒55)
2019年5月11日 SEC屋外陸上競技選手権大会 100m優勝(9秒99は日本歴代2位)
日本人として桐生祥秀に次ぐ9秒台ランナーとなり、日本男子100mでは最初に2020年東京五輪の参加標準記録(10秒05)を突破しました。
2019年6月6日 NCAA屋外陸上競技選手権大会 男子100m第3位(9秒97は当時の日本新記録)、男子200m第3位(20秒08)
第103回日本陸上競技選手権大会 100m優勝(10秒02は大会新記録)、200m優勝(20秒35)
大学3年生
大学3年生時の成績は次の通りです。
2019年9月世界陸上 男子100m準決勝敗退
2019年に行われたドーハ世界陸上では、スタートの出遅れが最終的な差になってしまい、準決勝敗退しました。
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サニブラウンの2022年現在
2022年7月に開催されたオレゴン世界陸上で日本人初のファイナリストになりました。
決勝での記録は10秒06で7位でした。
サニブラウン選手は、自分の走りを振り返って、
まったく覚えてないです、まったく覚えてないです(笑)。
横一線なので何が起こるかわからないから、とりあえずやってやろうという気分でアップもしていた。
トラックに入ってからも集中力を切らさずにやろうとブロックに入った。
とコメント。
日本人初のファイナリストとなり、歴史を塗り替えたことに対しては、
まずまずかなという感じ。こんなところで満足していられない。
もっともっと上を目指して頑張っていきたい。
とコメントしました。
コンディションが整わず、残念ながらリレーには不参加でしたが、次の世界陸上では表彰台が期待できますね。
これからもどんどん歴史を塗り替えていってほしいです!
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サニブラウンの家族構成は?母親と父親と弟の4人家族
サニブラウン選手は現在23歳で、結婚はまだされていません。
そんなサニブラウン選手の家族構成は、
- 母親
- 父親
- 弟(7歳年下)
のようです。
詳しく見ていきましょう。
サニブラウンの母親
サニブラウン選手の母親は、サニブラウン・明子さんです。
名前:サニブラウン・明子(旧姓:伊藤明子)
国籍:日本
職業:不明
母親の明子さんは福岡県出身の日本人です。
高校時代に、100mと100mハードルでインターハイ出場経験を持っています。
高校卒業後デザインの専門学校に行き、その後、スポーツメーカーに勤めています。
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サニブラウンの父親
サニブラウン選手の父親は、サニブラウン・アブデル・ラティフさんです。
名前:ラティフ・サニブラウン
国籍:ガーナ
職業:スポーツバー経営
父親のラティフさんはガーナ出身で、現在は東京都内でスポーツバーを経営しています。
ラティフさんはプロではないですが、サッカー経験者です。
その影響でサニブラウン選手兄弟は幼少期にサッカークラブに所属します。
その後兄のハキーム選手は母親のアドバイスで陸上の世界へ。
弟のハナンさんはサッカーの道を進み、2022年4月から「J1アビスパ福岡U-18」に入団登録されています。
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サニブラウンの弟
サニブラウン選手の弟は、サニブラウン・アブデル・ハナンさんです。
名前:サニブラウン・アブデル・ハナンさん
国籍:日本?
職業:プロサッカー選手
年齢:16歳
身長:181cm
ハナンさんは2006年7月生まれで、現在16歳の高校生です。
ハナンさんは幼少期、父親の影響でサッカー、そして母親の影響で陸上も習っていました。
小学1年生には競技会にも出場し優勝しています。
陸上のセンスもあったようですね。
しかし、どちらかというとサッカーに夢中だったハナンさん。
サッカーの道を選び、2022年4月からは「J1アビスパ福岡U-18」に選手登録されました。
サニブラウン選手はご家族全員スポーツ経験があるんです。
まさにスポーツ一家ですね。
サニブラウン選手はまだまだ成長途中というかんじですね。
これからのご活躍も期待しております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。