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【家系図】近衞忠煇の家族構成!祖父は元総理大臣で先祖は藤原鎌足!

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日本の名門・近衞家。

その当主である近衞忠煇さんは、日本赤十字社名誉社長として広く知られる存在です。

しかしその家系をたどると、祖父は元総理大臣、さらに先祖は藤原鎌足という驚きの血筋が明らかになります。

華麗なる一族の歴史と家族構成をわかりやすく解説します。

この記事でわかること

【家系図】近衞忠煇の家族構成!

近衞忠煇は戦国武将細川忠興の直系子孫

近衞忠煇の母親は近衛文麿の二女

近衞忠煇は母方の近衞家の養子になった

近衞忠煇の祖父は近衛文麿で元首相

近衛家の先祖は藤原鎌足!

【家系図】近衞忠煇の家族構成!

近衞忠煇さんは母方の近衛家の現当主ながら、もともとは細川侯爵家のご出身なんです。

ですので家系図も複雑になるのですが、ここでは簡単に要点をまとめました。

  • 近衞忠煇さんは細川護貞さんと近衞温子さんの次男として生まれ、母方近衞家の家系図に正式に加わりました。
  • 養父は近衞文隆さん、養母は大谷正子さんで、家系図に養子として位置づけられています。
  • 妻は三笠宮甯子内親王さん、皇族の血筋も加わり、家系図に彩りを加えます。
  • 長男は 近衞忠大さんで、NHKの映像ディレクターとして知られています。

近衞忠煇さんの家族構成をまとめると、

実父:旧肥後熊本藩細川家の第17代当主・細川護貞さん

実母:近衛文麿の次女・細川温子さん

養父:内閣総理大臣近衛文麿の長男・近衞文隆さん

養母:貞明皇后の姪・大谷正子さん

妻:元皇族・三笠宮甯子内親王

長男:近衞忠大さん

このように、家系図には旧華族、皇室、政治家、文化人と多彩な関係者がリンクしています。

それでは、それぞれ詳しく見ていきましょう。

近衞忠煇の妻・近衞甯子(このえ やすこ)

近衞忠煇さんの妻である近衞甯子さんは、皇族出身の三笠宮甯子内親王です。

三笠宮甯子内親王は三笠宮崇仁親王の長女として誕生し、1965年に近衞忠煇さんが母方近衛家の養子となったタイミングでご結婚されました。

そのため、近衞忠煇さんの家系図には天皇家の血筋が加わり、華やかさと重みが一層増しました。

日本赤十字社副総裁としての活躍も有名で、家系図に多彩なエピソードが刻まれています。

近衞忠煇の息子・近衛忠大さん(このえ ただひろ)

家系図で次期当主となるのは長男の近衞忠大さんです。

近衞忠大さんはNHKで映像ディレクターとして活躍され、家系図のなかでも現代性と伝統を併せ持つ存在として知られています。

近衞忠煇さんの家系図を語るうえで、忠大さんの多様な活動や国際的な経験も外せません。

近衞忠煇の実兄は細川護熙(ほそかわ もりひろ)

近衞忠煇さんの実兄にあたるのは、第79代内閣総理大臣を務めた細川護熙さんです。

細川護熙さんは肥後熊本藩細川家18代目当主としても知られます。

近衞忠煇さんの家系図を語るうえで、政界・芸術界でも活躍した細川護熙さんの存在は見逃せません。

兄弟そろって格式と実績を誇る家系図の中のBIGネームです。




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近衞忠煇の父親は細川護貞

近衞忠煇さんの父親は旧肥後熊本藩主細川家の細川護貞さん(ほそかわ もりさだ)です。

  • 戦前は 外交官 として外務省に勤務。

  • 終戦後は 政治家・吉田茂首相の秘書官 を務め、日本の戦後政治を支えました。

  • その後は公職を離れ、熊本の細川家を継ぎ、文化・教育活動や歴史研究に力を注ぎました。

  • 特に、細川家伝来の文化財や古文書を整理保存し、後世に伝える役割を果たしました。

近衞忠煇さんの家系図の中には、旧肥後熊本藩主である細川家の血筋がしっかり流れています。

この家系図には、室町・江戸・明治と時代を超えた細川家の歴史も刻まれています。

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近衞忠煇は戦国武将細川忠興の直系子孫

細川家は肥後熊本藩細川家の流れをくみ、「細川家」といえば室町時代から続く名門武家。

関ヶ原の戦いなどで活躍した戦国武将・細川忠興(ほそかわ ただおき)の直系子孫にあたるのが近衞忠煇さんです。

  • 細川忠興は織田信長に仕え、のちに豊臣秀吉・徳川家康にも重用された武将。

  • 特に 関ヶ原の戦い(1600年)では東軍(徳川方)につき勝利。その功績により肥後国熊本藩54万石を与えられ、細川家は大大名となりました。

  • 江戸幕府初期の譜代大名としても影響力を持ちました。

細川忠興自身も文化人であり、茶道にも深い造詣を持ち、千利休七哲の一人として知られています。

近衞忠煇さんの家系図は、武家と公家、双方の伝統に満ちています。

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近衞忠煇の母親は細川温子

近衞忠煇さんの母親・細川温子さんは、近衛家第30代当主で内閣総理大臣や貴族院議長を務めた近衛文麿さんの次女です。

  • 1936年に女子学習院を卒業後、1937年に京都帝国大学大学院在学中の細川護貞さんと結婚されました。
  • 21歳で結核を患い、1年以上の闘病の末、1940年にお亡くなりになりました。

家系図を眺めれば、昭和史の動きとともに生きてきた一族の歩みが伝わってきます。

近衞忠煇は母方の近衞家の養子になった

近衛文麿さんの長男であった文隆さんが早世し、当主不在となったことから、近衞忠煇さんが近衛家の養子として家系図を継ぐことになりました。

細川侯爵家の血筋を持つ近衞忠煇さんだからこそ、近衛家の家系図に新たな歴史を刻むこととなりました。

母親の細川温子さんの実家である近衛家を継いだことで、細川・近衛両家系図の融合が実現しています。

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近衛家の現当主が近衞忠煇

現在は近衞忠大さんが実質的な当主として家系図を引き継ぐ役割を果たしています。

近衛文隆さんの死去を受けて、忠煇さんが1965年に近衛家の養子となり、第32代当主を継承されました。

こうして、近衛忠煇さんは細川家と近衛家という二つの名門の系譜を背負う存在となりました。

近衞忠煇の祖父は近衛文麿で元首相

近衞忠煇さんの祖父・近衛文麿さんは、第34・38・39代内閣総理大臣を務めた方です。

日中戦争や開戦前夜の外交など、日本の運命を左右する時代の指導者でした。

家系図においても、近代を代表する華族の一人として大きな存在感を放っています。

近衛家の先祖は藤原鎌足!

近衛家は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)を祖とし、平安時代から続く藤原氏の嫡流、五摂家の筆頭です。

大化の改新の立役者で、天智天皇から「藤原」の姓を賜り藤原氏の祖となる方です。

以降、藤原氏は平安時代を通じて摂関政治を行う大貴族に成長したのは言うまでもありませんね。

歴史の教科書で誰もが知る偉人です。

代々、摂政や関白を歴任し、家系図は日本の歴史そのものと言っても過言ではありません。




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近衞忠煇のプロフィール

氏名 近衞 忠煇(このえ ただてる)
旧名 細川 護煇(ほそかわ もりてる)
生年月日 1939年5月8日
就任 1965年、近衛家の養子となり第32代当主を継承
年齢 86歳(2025年8月現在)
学歴 学習院大学政経学部政治学科
  • 1964年入社以来、国内外の人道支援に携わる

  • 1991年〜2005年:副社長および日本赤十字学園理事長

  • 2005年:社長就任

  • 2019年より名誉社長

  • 2009年~2017年:国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長として、初のアジア出身者

日本赤十字社社長や国際赤十字連盟会長も経歴に名を連ねる人道支援の世界的リーダーです。

まとめ

・家系図に旧華族、細川家、近衛家、皇族と多彩なルーツ
・伝統を守りつつ、現代社会でも躍動中
・長男の近衛忠大さんまで家系図がしっかり受け継がれている

近衛忠輝さんの家系図のストーリーを知ることで、歴史の奥深さにワクワクしますね!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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